無線室から始まったUNIXとネットワークの思い出
今では小さなマイコンでもネットワークにつながるのが当たり前になりました。SatBoxの基板を作りながら、ふと、米沢にいたころのことを思い出しました。私がUNIXと出会い、無線で仲間に開放し、その経験が会社の仕事や後の事業につながっていった時代の話です。
趣味と仕事は、私の中ではいつも地続きでした。無線室で夜な夜な覚えたことが工場のシステムになり、仲間と楽しんでいたワークステーションが、やがて商売にもなりました。
1985年――コーア技研と無線データ通信
コーア技研の年代記を読み返すと、出発点は1985年でした。その年の秋、米沢の我が家などで431.12MHzを使った無線BBSが動き始めています。最初はFM-8やFM-7、自作の300bpsモデムという時代でした。
同じ年、活動を紹介するために付けた名前が「高度アマチュア無線技術研究会」、通称・コーア技研です。会長や会則に縛られるのではなく、面白そうだと思えば集まってやってみる。そんな仲間とのつながりが、その後のUNIXやTCP/IPの実験を支えてくれました。
米沢で出会ったSONY NEWS
私がUNIXに出会ったのは、米沢にいたときのことです。JI7FEM小杉さんが、プロパンガスの販売管理にSONYのワークステーション、NEWS NWS-820を導入していました。業務用のコンピューターが、自分たちのすぐ近くにある。それだけでも胸が躍りました。
NEWSが登場したのは1987年1月。パソコンではMS-DOSが広く使われていたころ、UNIXでは複数の利用者が同時にログインし、それぞれのプログラムを動かせました。開発環境とネットワーク機能を備えたワークステーションは、私にはまぶしい存在でした。[1]
当時としてはとても高価な機械です。資料に残るNWS-820の発売時価格は155万円。小杉さんが実際にいくらで購入されたかは覚えていませんが、気軽に個人で買える金額ではありませんでした。私は毎晩のように小杉さんの家へ通い、NEWSを触らせてもらっては、自宅にも欲しいと夢見ていました。
そんな我が家に最初にやってきたUNIX環境は、小杉さんが所有していた富士通のFM-16βにXENIXを載せたものでした。ここにもTNCをつなぎ、144MHz帯や430MHz帯のパケット無線から利用できるようにしました。電波の届く仲間に、UNIXを使える場所を開いたわけです。
TNCはTerminal Node Controllerの略で、コンピューターと無線機の間でパケットの送受信を受け持つ装置です。キーボードから打った文字が電波に乗り、離れた場所のコンピューターへ届く。その先で本物のUNIXが動いていることが、何とも楽しかったのです。
1990年――玄関に置かれていたNWS-1450の箱
それでもNEWSへの憧れは消えず、毎日のようにカタログを眺めては、ため息をついていました。そんなある日、会社から帰ると、玄関にSONY NEWS NWS-1450の箱がどーんと置かれていたのです。
何と、元妻のJG7GXQが、私に内緒で仙台JIPから購入してくれていたのでした。驚いたのと同時に、どれほどうれしかったことか。あの玄関の光景は、今でも忘れられません。
年代記には、私がNEWSを導入し、ニュースやメールの転送を始めたのは1990年と記されています。NWS-1450自体は1989年末に登場した機種です。発売時の定価は125万円でしたが、我が家が実際に支払った金額は、今となっては正確に思い出せません。いずれにしても、大きな出費だったはずです。
SONY NEWS NWS-1450。当時のポートネットサービス資料に残る写真です。今回の思い出に登場する個体そのものと確認できる写真ではありません。
当時の機種紹介
NWS-1450のCPUはMotorola MC68030、クロックは25MHz、標準メモリーは8MB、ハードディスクは240MBでした。今の感覚では小さく見える数字ですが、UNIXの開発や複数利用者での作業ができる、立派なワークステーションでした。
それからは、毎日無線室のNEWSに夢中でした。もちろん無線機をつなぎ、仲間が使えるようにしました。山形大学の学生たちも無線からログインしてきて、気付けば新しいソフトが出来上がっている。私が用意した一台が、皆の実験室になっていきました。
回線は1200bps。全体を描き直す画面はつらくても、文字端末で使うviなら、画面の変化を抑えながら編集できます。1200bpsは単純に8で割っても毎秒150バイトにすぎず、実際には通信制御や再送の分も必要です。そんな細い回線でプログラムを書くために、viは本当に重宝しました。
無線はTCP/IP、有線はUUCP――寺子屋ネットワーク
その後、PRUG(Packet Radio Users Group)のJH1YNW経由で、ampr.*やfj.*などのネットニュースや電子メールも届くようになりました。ブラウザーでWebを見る時代ではなく、ニュースの記事やメールを隣のコンピューターへ転送し、その先へ運んでいく時代です。
有線側ではUUCP(Unix to Unix Copy)を使い、無線側ではKA9QのTCP/IPソフトウェアを利用しました。UUCPによる蓄積転送と、無線上のTCP/IPは、それぞれ役割の異なる仕組みです。我が家のNEWSは、それらをつなぐ場所になっていました。
KA9QことPhil Karn氏のソフトウェアは、パソコンをTCP/IPの端末だけでなく、サーバーやルーターとしても使えるようにするものでした。開発者自身の記録では、始まりは1985年末。一般のパソコンにネットワーク機能が当然のように付いてくる前から、アマチュア無線家はこうした仕組みを組み上げていたのです。[2]
私たちは「寺子屋システム」を使って、無線でネットニュースを配信していました。年代記でも、1990年に山形県南部で430MHz帯の寺子屋ネットワークが始まり、我が家で有線UUCP・無線TCP/IPによる転送が始まったことが確認できます。
山大生のJG2TST松井さんなどは、研究室が閉まった後に我が家へ来て、NEWSで課題を仕上げ、大学へメールで送っていました。大学の外、それも個人宅でそんなことができるのは、当時としては恵まれた環境でした。
世界では既にインターネットが発展していましたから、「インターネットが始まる前」というより、日本で商用インターネットが一般に普及する前と言うのが正確でしょう。国内で商用IP接続サービスが始まるのは1993年ごろです。それに先立って、無線でIPパケットを運び、ニュースやメールを交換する仕組みを自分たちで試せたことは、私にとって貴重な経験でした。[3]
NWS-1250と、家の中を走るイーサネット
そうこうするうちに、仙台JIPからラップトップ型のNWS-1250も追加購入しました。こちらは1990年登場の機種です。正確な購入年までは思い出せませんが、机の上だけでなく、持ち運べる形でもUNIXが使えるようになりました。
SONY NEWS NWS-1250。こちらも当時のポートネットサービス資料に残る写真です。
当時の機種紹介
CPUはMC68030の25MHz、標準メモリー4MB、ハードディスク200MB。白黒液晶を備え、重さは約8kg、電源はAC100Vでした。今の軽いノートパソコンとは違い、持ち運んで行った先で電源につないで使う、まさに「運べるワークステーション」です。発売時定価は、こちらも125万円でした。
家の中には、イエローケーブルのイーサネットが這い回りました。いわゆるイエローケーブルは、太い同軸ケーブルを使う10BASE5の呼び名です。現在のようなLANケーブルと小さなスイッチだけの配線とは、ずいぶん勝手が違いました。なお、コーア技研の年代記には、1990年の温泉での集まりで、細い同軸の10BASE2を畳の上に広げた様子も記されています。[4]
米沢で毎月のコーア技研勉強会が始まったのは1989年。勉強会の後は、皆がパソコンやNEWSを持ち込んで、UNIX談義に夢中になりました。仕事でもないのに重い機械を運び込み、夜が更けても飽きずに話している。今思い出しても、何ともぜいたくな時間でした。
どうしても動かなかったKISS
うまくいったことばかりではありません。有志がNEWS-OSでKISSプロトコルを動かそうと、我が家で何度も合宿しました。カーネルのソースには、それらしい処理が書かれているのに、なぜか動かない。これだけは最後までうまくいきませんでした。
KISSは、コンピューターとTNCの間でパケットを受け渡すための簡潔なプロトコルです。TCP/IPそのものや、無線区間で使うAX.25とは別の役割を持ちます。1987年のK3MC・KA9Qによる発表資料にも、ホスト側でパケットを扱いやすくするための仕組みとして説明されています。原因がドライバー、設定、接続条件のどこにあったのか、今となっては分かりませんが、あれこれ考えながら夜を明かしたことまで含めて、大切な思い出です。[5]
趣味で学んだことが、半導体工場の仕事へ
私は、自宅のワークステーションでUNIXやネットワークを独学で学び、それを会社でも展開しました。趣味で試した技術を仕事へ持ち込み、半導体工場の品質管理システムを構築したのです。
その仕事で、本社の社長賞を頂きました。無線室で夢中になって覚えたことが、実際の工場の役に立ち、評価してもらえた。それは、とても誇らしく、うれしい出来事でした。受賞した正確な年は手元の記録では確認できませんが、私の中では、趣味と仕事がつながった象徴のような出来事として残っています。
1991年の転勤、そして1995年のポートネットサービス開始へ
米沢工場から野田市の本社へ戻ったのは、年代記によれば1991年です。私の転勤に伴い、コーア技研の勉強会は山形市で開かれるようになりました。場所は離れても、そこで身に付けたUNIXとネットワークの楽しさは、その後も私の暮らしの中心にありました。
自宅にはNEWSだけでなく、中古のSun 3/80やSPARC系のSunも増えていきました。そして1995年、東京インターネットのアナログ専用線を引き、自宅でもインターネットへの常時接続ができるようになりました。電話をかけて接続するのではなく、家のサーバーがいつも外につながっている。その変化は大きなものでした。
IIJがインターネット接続サービスを始めたのは1993年11月、東京インターネットがサービスを始めたのは1995年4月です。設立年とは区別する必要がありますが、IIJの公式沿革と当時の『インターネット白書'96』で、この開始年月を確認できます。[6]
東京インターネットがサービスを始めたのと同じ1995年、私たちも「ポートネットサービス」の事業を開始し、レンタルWebサーバーのサービスに踏み出しました。自分たちとしては、業界の先頭を走るつもりで始めた仕事でした。さらに、中古ワークステーションやマッキントッシュの販売を「ポートネットサービス」という事業名で行いました。
ポートネットサービスの事業開始年は、東京インターネットのサービス開始と同じ年だったという私自身の記憶と、その開始年を照合したものです。開始月まではここでは特定しません。「業界初」といえる範囲も、今回確認した資料だけでは確定できませんが、インターネットが家庭や小さな事業所へ広がり始めた、そのころの挑戦でした。今も残る技術情報には1996年5月や6月の日付が付いた記事があり、修理や増設の情報も調べて公開していたことが分かります。
新しいことに次々と取り組んでいたため、社長だった元妻は、さまざまなメディアから取材を受けました。無線の仲間と楽しんでいたUNIXが会社の仕事になり、さらに自分たちの事業へと広がっていく。趣味と仕事をきれいに分けることなど、私にはできなかったのかもしれません。
楽しい毎日でした。あのころ一緒に試し、考え、夜を明かしてくれた皆さんに、今も感謝しています。
年代を振り返るためのメモ
| 1985年 | 米沢などで300bpsの無線BBSを運用。コーア技研の名称が生まれる。 |
| 1987年 | SONY NEWS発売。コーア技研の年代記では、この年の秋にPRUGとの交流でTCP/IPが話題に。 |
| 1989年 | 米沢で毎月の勉強会開始。NWS-1450は同年末に登場。 |
| 1990年 | 我が家にNEWS導入。有線UUCP・無線TCP/IPによるニュースとメールの転送開始。NWS-1230もこの年に登場するが、我が家の購入年は未確認。 |
| 1991年 | 私の転勤に伴い、勉強会の開催地が山形市へ。 |
| 1993年 | IIJが7月にUUCPサービス、11月にインターネット接続サービスを開始。 |
| 1995年 | 東京インターネットが4月にサービス開始。同じ年、自宅に専用線を引き、ポートネットサービスの事業を開始。私たちの開始月は未確認。 |
| 1996年 | 現在も残るポートネットサービスの技術記事に、この年の日付を確認できる。 |
上の年は、個人の出来事と機種の発売年を区別して整理しました。購入価格は実際の支払額ではなく発売時の参考価格です。NWS-820の型番を確実に確認できる写真は見つからなかったため、別機種の写真で置き換えてはいません。
当時の記録と参考資料