JI1FGX/DU9 フィリピンミンダナオ島 アマチュア無線日記 IOTA OC-130
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ミンダナオでの生活日記

1973/06/27 小学6年生で電話級取得
JI1FGXが開局したての1977年頃   (1973/06/27)

1973年小学6年生の時の写真。昔の無線従事者免許証はこんな紙の二つ折りだった。
母の勧めで試験勉強を始めて、学校にまで「ハムになる本」など数冊の本を持っていき理科の先生にも教わっていた。
この年に試験は記述式からマークシート方式に変わり日本電子工学院で講習が有りました。
小学6年生だった私も何度か日本電子工学院に通いました。
試験も日本電子工学院でじゅけんしました。幸い1回の試験で合格でした。

当時は無線従事者免許証を申請するには医師の診断書が必要でした。
一番最初にトリオTR-2200GIIを購入
水晶式で144.48MHzがメインチャンネルになっていた。
またワイドをナーロー化のためにフィルターを交換したり、
水晶を買い足したりと結構お金がかかり高校生にとっていたい出費であった
また12チャンネルしかなかったので空いている周波数が無かったり、
お互いに持っている水晶が合わずに交信できないことが度々あった。

写真に写っているVFO-30を購入して「何処でも出れますよと」と言える事がとても嬉しかった。
この写真に写っているもので今でも手元にあるのは足元にあるテスターと、蛍光灯スタンド。
最近VFO-30とVB-2200は再度手に入れたがまだTR-2200GIIが無い

モザイクが入っているのは写真を撮ってくれた当時の友達の妹さん。すでにその友達の名前もコールサインも忘れている
サドルの下にある小さな金属箱が6V発電機を倍電圧整流して12Vを作り出し走りながらバッテリーに充電するための回路が入っている

今考えてみると高校のときから移動運用をやっていたことになる。
自転車にTR-2200GIIと10WのブースターVB-2200を積み、後ろには車のバッテリーを乗せている
さらに6Vの発電機を倍電圧整流して走りながらバッテリーに充電するという根性の入れ方
後ろには5/8λのモービルホイップかアローラインをつけて走り回っていた。

10Wも出しているのだから当時車に乗っていた先輩たちの電波と遜色なく通信ができた。
この自転車で我孫子から成田や秋葉原まで行ったのだからやはり17歳は若かった

すこしたって八重洲無線が出したFT-301Sを自転車に積んでみた。いまでこそHFモービルもあたりまえになっているが、HFバイシクルなんて珍しいかったと思う。
アンテナは21MHzのヘリカルホイップ
ただしほとんど飛ばなかったし、電波を出しているときに自転車の金属部分に触ると感電した記憶がある
一緒に写っている父がとても若い。今自分が当時の父親の歳に近づこうとしているのだから、年月が経つのもはやいものだ。

それから25年経ってFT-817を手にしたときは、昔を思い出すとともに、技術の進歩に驚いてしまった
 
そして自転車は車になったものの未だに移動運用をやっている。よく飽きないものだ。我ながら。
そして無線少年だったJI1FGXはフィリピンミンダナオ島オサミスへ引っ越してもアマチュア無線を続けているのでした