2002年編集 | |
小学6年生の写真。むかしの無線従事者免許証はこんな紙の二つ折りだった | |
水晶式で144.48MHzがメインチャンネルになっていた。 またワイドをナーロー化のためにフィルターを交換したり、 水晶を買い足したりと結構お金がかかり高校生にとっていたい出費であった また12チャンネルしかなかったので空いている周波数が無かったり、お互いに持っている水晶が合わずに交信できないことが度々あった。 | |
写真に写っているVFO-30を購入して「何処でも出れますよと」と言える事がとても嬉しかった。 この写真に写っているもので今でも手元にあるのは足元にあるテスターと、蛍光灯スタンド。 最近VFO-30とVB-2200は再度手に入れたがまだTR-2200GIIが無い | |
モザイクが入っているのは写真を撮ってくれた当時の友達の妹さん。すでにその友達の名前もコールサインも忘れている サドルの下にある小さな金属箱が6V発電機を倍電圧整流して12Vを作り出し走りながらバッテリーに充電するための回路が入っている | |
自転車にTR-2200GIIと10WのブースターVB-2200を積み、後ろには車のバッテリーを乗せている さらに6Vの発電機を倍電圧整流して走りながらバッテリーに充電するという根性の入れ方 後ろには5/8λのモービルホイップかアローラインをつけて走り回っていた。 10Wも出しているのだから当時車に乗っていた先輩たちの電波と遜色なく通信ができた。 この自転車で我孫子から成田や秋葉原まで行ったのだからやはり17歳は若かった | |
アンテナは21MHzのヘリカルホイップ ただしほとんど飛ばなかったし、電波を出しているときに自転車の金属部分に触ると感電した記憶がある 一緒に写っている父がとても若い。今自分が当時の父親の歳に近づこうとしているのだから、年月が経つのもはやいものだ。 | |
それから25年経ってFT-817を手にしたときは、昔を思い出すとともに、技術の進歩に驚いてしまった | |
そして自転車は車になったものの未だに移動運用をやっている。よく飽きないものだ。我ながら。 | |
そして無線少年だったJI1FGXはフィリピンミンダナオ島オサミスへ引っ越してもアマチュア無線を続けているのでした |